2002-8-15

知られざる創価学会本部職員の腐敗の実態

職員OB座談会 師匠の姿を見習った? 
専従幹部職員の腐敗の連鎖

出席者(アイウエオ順)
岩崎 文彦(元・聖教新聞社出版局)
小川 頼宣(元・創価学会本部広報室)
高村 萬之助(元・聖教新聞社広告局)
古谷 博(元・創価学会本部組織センター)

 漏れ伝わってきた話では、最近池田大作創価学会名誉会長が激怒したという。その原因は『週刊現代』七月二十七日号に掲載された「創価学会OBが銀座でぶん殴られた」の記事。「週刊誌沙汰になりやがって」と池田氏の怒りをかった記事の内容は……。七月三日夜十時過ぎ、銀座八丁目の路上で創価学会の元本部職員だった古谷博氏ともう一人の男性が、創価学会の関係者と思われる男性二人に襲われて全治二週間の傷を負い、古谷氏はデジタルカメラを強奪されたというもの。この日は創価学会を離れた元職員の親睦会があった。それを監視していた一団のなかに池田側近のO氏がいたが、その姿が撮影されていたカメラだった。
 すでに辞めた職員の動向にまで神経をとがらす創価学会本部とはどんなところなのか。「スキャンダル国会」と揶揄された通常国会の終了直後でもあり、会員にとって公僕ともいえる専従職員の倫理観を中心に、部外者ははもとより、学会員にもうかがい知ることのできない聖域の実態を職員OBに語っていただいた。

――1昨年八月に創価学会職員局から通達された「職員として守るべき事項」と「創価学会職員倫理規程」がお手元にあります(左図)。
 まず、目を通した感想から。
 古谷 「守るべき事項」の第一項に「会員奉仕を第一とする精神を根本に、自らも質実剛健」とありますが、初期の職員の気風はそれに近かったのではないでしょうか。
 高村 たしかに初期の本部職員には、自らを律する倫理観があったと思います。特に北条浩さん(第四代会長・故人)は海軍士官だったので「提督」のあだ名があって、「月月火水木金金、二十四時間艦隊勤務、たまに帰れりゃ功徳と思え」といっていた。文字通り質実剛健でしたね。
 小川 鉛筆一本ムダにするな、コピー一枚とるにも申請書を書けと。
 岩崎 ですから、薄給でも誇りをもって勤務していた時期もありました。それが、いつの間にか堕落し腐敗してしまった。
 ――どのへんから変わってきたのでしょうか。第二項の「会員からみだりに飲食などの接待」の現象は特に顕著になりましたが、芸術部書記長や文化本部副書記長を務めていた古谷さんは、中央幹部の動向に詳しいのでは?
 古谷 私は業務と組織活動が一体の組織センターにいましたので、幹部接待の様子はずいぶん見聞きしました。上田雅一男子部長・青年部長あたりから宴会的な体質になってきて、次の野崎勲(同、現副会長)になってから頂点に達したと思います。
 たとえば、野崎青年部長が月に一回は関西に行く。次の会長は野崎か原田かといわれていた時代ですから、現地の出迎え体制はものすごいものがありました。文化会館などでの会合は八時半から九時ごろに終わる。その後、東京から随行した幹部数名と現地の幹部を伴って、十数名が車を四、五台つらねてミナミとキタに繰り出すわけです。一ヵ所三〇分もしないうちに次の店に移動する。車を運転している男子部に「今の店はどのくらい?」と聞くと「一人五、六万円」というんです。「このお金は誰が出すの?」「私たちオーナー経営者が、今月は誰と誰というように数名の当番制です」と。
 五、六軒はしごをしたあと、ロイヤルホテルに移ります。スイートルームを借り切って、大きなテーブルに現地の白雲会(料理人グループ)が用意した山海の珍味をつまみながらの懇談です。中村康祐(関西青年部長)などの男子部幹部だけでなく、矢追秀彦(参院議員)、高山直子(精神科医)などが筆記をしながら野崎の話を聞いている。まるで池田大作を囲んでいるような雰囲気でしたね。
 ――小川さんは九州青年部長をされていましたから、同様の経験を?
 小川 野崎さんと随行の幹部、地元側の幹部をあわせると四、五十人ぐらいになりましたから、よく白雲山荘など一流の旅館を会場にしてやりました。関西は金持ちが多いからいいですが、九州は数人しかいなかったから、自分たちでも出しました。男子部ってえらい金がかかるなというのが実感でした。
 岩崎 聖教新聞社の広告局にいた茨城の県青年部長が、サラ金に追われて自殺した事件もあった。野崎青年部長の接待にお金がかかったといわれていました。茨城だと世帯数も少ないし、経営者も少ないから自前でやらざるを得なかったのでしょう。
 古谷 やがて青年部長や男子部長だけでなく、中央の幹部が地方にいくたびにできる限りの接待をするのが当たり前の体質になりました。文化祭を担当していたので地方で開催される文化祭に宮川清彦や平井武夫などと同行する機会が多かった。方面の副会長がそれぞれの繁華街のいちばんいいところに連れていって接待する。舌を巻くような手際のよさでした。
 ――まるで接待マニュアルがあるような……。  
 古谷 それがだんだんと浸透して、方面の幹部、たとえば関西の幹部が三重県に行けば同様に接待するし、県の幹部が県内の○○市に行けば地元は接待しなければならなくなってきた。
 そうした伝統は野崎以降も代々続きました。次の溝口隆三男子部長がまた遊び好きで、「会合はいいからマージャンをやろう」というほど。その次の太田昭宏(現・公明党国対委員長)はそれほど好きではありませんでしたが、大学相撲部出身でしたから食べることでその伝統が続いて、浅見茂になったら再びひどくなりました。
 ――接待文化でマヒした金銭感覚が、「金品の提供」や第三項にある「その立場を利用し、勝手に会員から金銭を集め」につながってくるわけですね。
 古谷 そういう生活を覚えると、日常的に金の工面に腐心するようになります。たとえばオーナー経営者に金を出させるとか、あるいは選挙がらみでの金集め。公明党候補が出ていない選挙区での他党との票の売買の噂も絶えません。また、裏選対にはお金が集まります。経済力のある会員から「若手が夜中まで頑張っているのだから」といって金を集めたり、陣中見舞いもいちおう経理書類はつくるが候補にはいきません。そこから遊興費にあてたりする。それが組織に蔓延していきました。
 高村 私も、陣中見舞いでは困惑したことがありました。広告部長のときに突然、当時の持永利之神奈川県長から県会議員になれといわれて、昭和五十八年から神奈川県会議員を三期やりました。三回の選挙でいちばん困ったのは、陣中見舞いです。道で会ったときに「金一封をもって選挙事務所に行きましたよ」といわれても私にはわからない。学会員のみならず、いろいろな方がきてくれるのですから、選挙指令をしている学会幹部に「金額はともかく名前だけでも教えてほしい」といっても、ほとんど教えてくれない。金額はもちろん、どう使っているかを私たちは知る術もなかったですね。
 小川 他の陣営から「票を回して」とのお誘いが最も多いのは首長選挙。その際、票売買、金の噂が流れていました。
 ――「守るべき事項」は会員との関係に限定していますが、「職員倫理規程」は取引先や外郭との関係など、仕事関連の規程になっています。
 岩崎 私は出版局に入ったあと、広告、業務(聖教新聞販売部門)、電算部、また出版と、編集以外のほとんどの部門を一巡しました。この「規程」には懲戒処分の項目がありますが、横領など懲戒免職にあたるような職員が上部や周辺にたくさんいました。しかし、部下の不祥事を表沙汰にしないようもみ消していましたから、免職される者はいなかったですね。もみ消しの資金源になったのが、裏金づくりです。例えば業務総局にいたときですが、Mという部長のデスクには万札で五千万円ぐらいが常に入っていた。横松昭(主事)が編集を除く部門の総責任者でしたが、時々来てはそこからもっていくんです。
 手口はこうです。聖教新聞の販売店にA店とB店とがありました。A店は正規の販売店で、B店は架空の販売店。いちおう所在地はどこかを借りた形になっていて、実際は新聞が動いていないのにその架空の口座に数千部の架空の売上を計上する。すると、年間では1千万以上の販売手数料が入ります。それが十店舗ぐらいありましたから、億単位になります。それを現金化して、M部長が窓口になって横松が自由に使っていた。
 昭和五十年頃ですが、Nという部長が競馬に凝っていて、配達員に見せるために販売店に購入させたビデオデッキの代金七百万円ほどをもって失踪してしまった。結局、スッカラカンで大井競馬場でつかまったのですが、長野県の会館に飛ばされた。そういうときの穴埋めや、自分たちの遊興費に使われていました。
 ――外郭や取引先との関係では? 岩崎 横松主事の弟が役員をやっていた、東弘という系列の広告代理店があります。聖教新聞の案内広告の手数料は、普通の代理店は二〇%ですが、そこには三〇%の手数料を出していた。その一〇%が、横松や松岡佑吉のポケットマネーにバックされていたようです。二人は地元も神奈川で一緒。職員はみんな知っていましたね。
 古谷 イベント関係でも大きな金が動いていました。昭和五十年代後半に各地で文化祭が開催されましたが、関西の西口さん(関西長、現・副理事長)は文化祭の衣装・グッズ関係を自分で仕切っていて、数万人の出演者の衣装代から裏金をつくるのに腐心していたと関係者から聞きました。
 小川 衣装本部で扱う金額はすごいですからね。それぞれの演目ごとに用意する衣装は出演者のほとんど自己負担。特に女子部や婦人部の着る衣装は高い。それを、素材の選定から縫製まで手配するのは衣装本部です。
 古谷 出演者から徴収するのは一着五千円から一万円ぐらい。デザイン部門などを使って、しかも大量につくりますからせいぜいかかるのは三千円程度です。場合によっては二千円前後で用意できる。すると、税金のかからない莫大な裏金ができます。
 小川 東京の文化祭も大規模でしたね。
 古谷 西武球場で十万人の出演者でやったやつでしょう。宮川清彦(副会長)がTシャツ部門を担当して、自分の関係する富士合唱団の団員を使って手配していました。一枚二千円で売ったのですが、大量につくれば高くても七、八百円。一枚につき千円以上浮くわけです。合唱団のメンバーが「こんなお金の扱い方はしたことがない」といっていましたが、お札をリンゴ箱の大きいやつに足で踏みつけて詰め込んで、ワゴン車に載せて宮川の自宅あてに運ばれました。
 小川 男子部の幹部はわかりもしないのに「これではダメだ、色を変えろ」とやりますからね。それで、たちまちTシャツのつくり直しです。
 古谷 そうした裏金づくりが東京、関西をはじめ各地で行われ、接待費用になったり自分たちの遊興費に使われていた。北海道で文化祭を推進していたH君なんか、それを早くやりたくて、「なんとか早く開催したい」とせっついていました。手っ取り早く裏金が作れるからです。
 岩崎 「踏みつけた」で思い出しました。中西治雄さん(総務)が「八葉」という会社をもっていて、大石寺の土産物店街に店を出していた。正本堂ができたときに、建立記念の金杯を売るために出版局の職員が手伝いに行かされました。当時の中西主事といえば、職員の間では「池田センセイ」とイコールでしたから、指示には絶対逆らえない。私はたまたま選ばれなかったのですが、同僚が何人か行きました。三千円ぐらいで売り出したんですが、飛ぶように売れて毎日札束を踏んでいたといいます。
 ――「守るべき事項」の四番目には、会員の経営する会社や事業に名義を貸したり役員になってはいけないとありますが。
 古谷 口の堅い組織幹部が経営する会社の顧問をやっている人は何人もいましたね。たとえば埼玉の県青年部長をしたことのあるHは、数社の顧問をしていました。一社十万として、三、四社からもらって自分の給与と同程度にしたいといっていた。顧問は会社になんらかの利益もたらさなければならないから、公明党に口を利いて仕事を回させていた。それは必然的に公明党の票を獲得することにつながるんだから、と彼は正当化していました。茨城でも栃木でもあるとも聞きました。彼ほど正面きってではなくても、奥さんや兄弟の名義でやっている人は相当いたようです。
 ――『小説・聖教新聞』でも、原田稔、美坂房洋はじめ本部・聖教の中枢幹部の腐敗の実態が描かれていました。
 岩崎 当時、新聞編集の連中が「あれは全部本当だ」といっていました。こうした状況は、現在も変わっていないでしょうね。
 古谷 たまに本部の様子が伝わってくることがありますが、ほとんど変わっていないようです。
 小川 実際にやっている職員がいるから、こんな「規程」ができているのでしょう。創価学会本部の現状がよくわかりますね。
 ――かつては生涯、清貧でいいから広宣流布の先兵になるんだと決意して、純粋な気持ちで職員になった者がほとんどなのに、なぜ変わってきてしまったのでしょうか。
 岩崎 まず大きかったのは、昭和四十五年の「言論出版妨害事件」ではないでしょうか。それまでは創価学会は嘘をいわない団体で、我らこそ正義だと思っていました。しかし、私も書店を回って「藤原弘達の本を置くな」というように指示されました。
 古谷 あの事件から池田大作への幻想が崩れはじめたのは確かでしょうね。それでも「周囲の取り巻きが悪いんだ」と見れないこともなかったが、やがてご本人に問題があることがわかってきてしまった。ともかく、本音と建前の使い分けが始まったのはそのころからかもしれません。
 小川 昭和四十七年の正本堂建立も要因の一つ。それまでの約七年間、三〇〇億円以上のご供養金を自由に使えたのが、完成すれば使えなくなる。中西治雄はじめ、トップクラスの幹部が必死になって知恵を絞り、池田大作の裏金づくりに励んだ。それが、周囲の幹部や職員に見えはじめる。だんだん金銭感覚がマヒして、堕落してくる。
 古谷 やはり質実剛健とは程遠い、池田大作の日常生活がだんだんわかってきたことが、最大の要因でしょうかね。
 小川 たとえば会館を建設する場合、二つの要素があります。会員が集まる広間などは、質実剛健で強度を重視した安全性の高いものをつくる。一方、池田専用施設は金に糸目をつけない豪華なもの。インテリアも備品も桁外れのものが許される。そこで、気違いみたいな金の動きが発生します。インテリアなど値段があってないようなもの。わからないようにバックできます、と自動的に利権が発生します。「池田専用」という理由で、北条さん的な質実剛健が木っ端微塵に崩れてしまう。
 古谷 五三、四年の第一次宗門問題では、宗教的な理想までぐらつきはじめました。
 ――でも、池田会長引退にはひそかに快哉を叫んだ職員も多かったのでは?
 古谷 気の置けない仲間と「これで少しは良くなるかも」といいながら、祝杯をあげるグループがたくさんありました。女子職員を除けば池田の引責辞任を悲しんだ職員はごく少数でしょう。
 小川 せいぜい、北条会長になると厳しくていい思いができなくなることを恐れた最高幹部たちだけ(笑)。
 古谷 しかし池田復権以降は、一気に金権的な体質が蔓延しましたね。
 小川 完全に利益共同体になってしまった。同じ穴のムジナが集まって、その頂上に池田大作というボスが君臨している構造。ですから、先ほどから指摘されているような幹部の腐敗を、池田大作は黙認しているように思えてならないのですが。
 古谷 私もそう思います。
 小川 いわば共犯者。同時に、証拠を握っておけばいつでも叩ける材料になる。自分に逆らう者は追い出すことができます。ですから「守るべき事項」が六項目ありますが、酒や女、少々の金品などの腐敗は眼中にない。池田大作にとってのポイントは三番目の「その立場を利用し、勝手に会員から金銭を」の部分ではないでしょうか。これは、彼が財務でやっている手口のミニ・パターンですから、徹底的に防いでおかないと財源基盤が崩れてしまいます。
 古谷 外郭も含めて、どうすれば会員というマーケットから金と票を収奪できるかにのみ腐心する学会本部になってしまいました。いくら燃える思いと理想をもって入社しても、やがて誘惑に負けて堕落してしまうのは、人間の性とはいえ悲しいものがありますね。
 小川 本来は公僕たる官僚が腐敗するのと同根のものを感じますが、「宗教」の看板を掲げているのですからより罪深いかも。現職の職員にはもう一度よく考えてもらいたいものです。
 ――まだお聞きしたいことはたくさんあるのですが、今回は「倫理規程」がらみに絞らせていただきました。

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