2004-8-1

特集/参院選総括―自・公癒着に綻び露呈
公明党・創価学会の餌食になった“麻薬患者”自民党の悲惨

山村明義

 7月11日の参議院選挙が終わり、自民党が49議席に対し、民主党50議席(選挙後51議席)という僅差の結果になった。今回の参議院選挙の最大の特徴は、比例区はおろか、「自公協力」を徹底したはずの選挙区で200万票近い差をつけられて民主党に自民党が敗北したことである。
 自民党は組織と派閥の力を最大限に出し切った選挙戦を展開した。その大きな支柱が自公協力であり、創価学会による自民党への選挙区選挙への貢献のはずだった。だが、自民党が一つの政党にこれだけ引き離されて敗北したことは歴代の参議院選挙では初めてのことであり、自民党のコア(核)が熔けだしているかのような結末を迎えたのである。
 この自民党衰退の原因は何か。そして、各選挙区や選挙現場でどんなことが起きていたのかをこれから検証していくことにしたい。

 自公協力の激戦10選挙区で、3勝7敗の惨敗

 今回の激戦区は、主に北海道、青森、秋田、山形、群馬、静岡、三重、滋賀、大阪、奈良、岡山、山口、香川、佐賀、長崎、熊本、大分、宮崎、沖縄の19選挙区などだった。このうち最終盤に自公協力をした10選挙区で、その結果は3勝7敗という惨憺たるものだった。
 「今度という今度は自民党には投票しなかった。自民党がなぜこれほどまで公明党に頭を下げ、創価学会という組織の言いなりになってしまわなければならないのか。自民党の議員にはプライドがないのか」
 古参の自民党員からはこんな声が全国から続々と上がっていたのだ。
 まず、北から見ていこう。定数2の北海道選挙区では自民党が立てた中川義雄が74万票を取ってトップ当選した。これは、自民党が東京や神奈川、愛知と同じように候補者を一人に絞ったことによる集票効果であった。道内に55万票あるといわれる公明票の食い合いとなり、その票は自民党の中川陣営だけに行ったわけではなく、民主党の一部や鈴木宗男候補にも流れていた。創価学会では三重県などで民主党に票を流したという。
 岩手選挙区では、「打倒小沢」を目指した自民党の青木幹雄参議院幹事長に依頼された創価学会の秋谷栄之助会長が、自ら岩手入りして学会組織を動かしたにもかかわらず、民主党の主浜浩が6万票以上も上回って、自民党の高橋洋介が敗北した。「岩手県では県全体で創価学会の会員は4万人しかいないというのが定説。にもかかわらず、自民党は公明党・創価学会におんぶに抱っこになっている。これでは勝てるわけはない」と岩手県の自民党関係者は語る。
 さらに保守王国・山形県では自民党公認の現職、岸宏一の当選のために、地元の衆議院議員が公明党に後援会名簿を手渡すという異常事態が生じた。地元政界関係者が語る。
 「山形では自民党衆議院議員の遠藤利明、遠藤武彦陣営が揃って3万票分の後援会名簿を公明党に渡すことを約束するという“事件”が起きた。公明党が最大限支援することになっていたにもかかわらず、結果は民主党候補に3万5千票差まで追い上げられ、ハッキリ言って冷や汗の勝利だった」
 また、自民党から中曽根弘文と上野光成の2名を擁立した群馬選挙区では、「当初、群馬県内にあるといわれる公明党票の10万票を2人で折半し、5万票に分けるという約束になっていた。ところが後半戦になって上野候補の苦戦が伝えられると、7対3で上野候補に学会票を移し替えることを決定、結果も上野氏が急追したが、民主党の富岡由紀夫氏にはまったく届かなかった」(県政関係者)という状態。ここで判明したのは、学会票が自民党に何票入っているのか、自民党側にはほとんど把握出来ないことであった。自らの力で頑張ったのか、学会のおかげなのか、本当のことは創価学会が情報を公開しないため、ほとんどわからない。何より問題なのは、自民党の陣営の中に最初から学会に対する依存心が芽生えているため、自力で勝とうという意識が生まれないことだった。
 実際、自民党県議などが地元の創価学会幹部と接触、他の組織票の上乗せを期待したが、公明党側が6ブロックに分けた比例区候補への選挙協力は徹底していた。東京、関東、沖縄などの地域では「浜四津敏子」と書かされた。それでも民主党の後塵を拝する選挙区は引きも切らない。しかもその票には公明党が過去に自民党から名簿の提供によって奪い取ってきた自らの票も含まれているのだ。
 それにもかかわらず、公明党の選挙協力を有り難がるばかりの自民党の体たらくぶり。公明党・創価学会への批判精神や自立心を失った、正気の沙汰とは思えない選挙戦が全国各地で展開されていた。

 あてにならない公明・学会票

 象徴的だったのは岡山選挙区である。橋本龍太郎、平沼赳夫ら自民党実力者を擁し、衆議院では5選挙区全てを独占している自民党は、加藤紀文を立てて民主党の江田五月氏に挑んだ。その過程で、加藤本人が1万5千人分、平沼赳夫らのものが3千人分という後援会名簿合計3万人分が公明党に流出した。
 平沼赳夫氏は国家基本問題同志会出身というまさに「自民党の最後の心の礎」と呼ぶべき議員である。その平沼氏の陣営から公明党・創価学会に命より大事な後援会名簿を渡すというのだから、尋常な姿ではなかった。
 「自民党内ではあの平沼氏ですら後援会名簿を公明党に渡したことで、“平沼ショック”と呼ばれていました。従来、自民党では大事な名簿は公明党に渡さないようにしていたのですが、今回の件では後援会の中枢に近い重要な名簿を公明党にかなり渡している。当然、その名簿は次の選挙で公明党を支える学会員に利用されることになり、このままでは自民党の組織はガタガタになることは目に見えている」(自民党関係者)
 ただ、自民党が公明党にいくら後援会名簿を渡し、比例区候補を支援しても、創価学会票は、一般の無党派票に比べると段違いに低い支援しか受けられないのである。それどころか公明党の支援を断った選挙区の方が自民党では勝てるという実例もあった。
 「宮崎、長崎、大分など九州の1人区で創価学会の全面支援をもらっているにもかかわらず、軒並み自民党候補が落選する中で、熊本選挙区の木村仁陣営は自民党本部から指令された公明党の支援を断り、一部の学会票のほかは独自の選挙戦を展開した。そうしたら、逆転が有力視されていた民主党候補に本当に勝つことが出来た。九州全体の公明党票は115万票あるといわれているが、その票が自民党に来ることによって離れる票もあることを自民党は真剣に考えるべきです」(同)
 学会票が額面通りではないのは事実である。当初大接戦が予想されていた沖縄選挙区では、「自公連合」の翁長政俊と、共産党を含む「野党連合」の糸数慶子が相対した。結果は糸数が10万票近い差をつけ大勝した。「元々沖縄は“創価学会王国”と呼ばれて、前回の参議院選では沖縄に割り当てられた遠山清彦氏が獲得した12万票が翁長氏に来るといわれていたんです。だからこそ自公で協定書まで結んだ。だが今回は多く見積もっても8万票で、学会票は期待はずれ。それどころか公明党があまりにも横暴を極めていることによって、一般有権者がどんどん離れてしまった」と沖縄県の自民党関係者は解説する。
 地元の創価学会幹部や公明党幹部は、「ウチから何万票来る」と大言壮語するが、これは眉唾物の場合が多いと見るべきだろう。

 弱みにつけ込まれ自滅の道を辿った

 ところで今回の「自公連合」の立て役者は、自民党側は青木幹雄参議院幹事長、創価学会側は秋谷栄之助会長と八尋頼雄副会長だった。7月5日に赤坂プリンスホテルで会談したとき、この3人が目撃されている。
 自民党は前回の衆議院選挙で横行した「比例区は公明党に」という呼びかけは 党規で禁止していた。いかに同じ与党内の友党であろうが、一つの自立した政党が「他党に投票しろ」というのは政党本来の存在を否定するような行為であるから、これは当然だった。ところが、選挙に苦戦しそうな陣営では、次々とこの規則を破った。さらに7月5日の「青木―秋谷会談」後に自民党本部で開かれた選対会議で、この党規を何と事実上なし崩しにしてしまったのである。
 その背景には、選挙1週間前に行われたマスコミ各社の選挙予想で、自民党が「40議席台前半」となるといった衝撃的な結果を予想したのに対し、自民党の焦りがあった。その頃すでに選挙現場では、「創価学会票がないと勝てない」と一方的に考え、独自に後援会名簿を渡したり、独自に選挙協力に踏み込む人間が続出していたのである。
 その規律と倫理の乱れは、公明党・創価学会側から見れば、まさに餌食そのものだろう。彼らは弱い人間や集団を見つけると、カサにかかったように攻めてくる。比例区の票を公明党に入れることを少しでも拒んでいれば、「もうあなたの所にはこちらから連絡できませんね」と公明党の支部の幹部は今後の選挙協力をしないという意思表示に出てくる。
 公明党・創価学会の恐ろしさはここにある。いまの自民党の姿はまさに麻薬患者に他ならず、公明党・創価学会という組織の手によって、政党としての最も大事な思想や哲学、自立心という中核を侵され、自滅の道を辿ってしまったと言えそうである。(文中・一部敬称略)

山村明義(やまむら・あきよし)1960年生まれ。早稲田大学卒。金融業界紙、週刊誌記者を経て、フリージャーナリスト。政治・経済・外交をテーマに幅広く執筆中。近著の『外務省 対中国、北朝鮮外交の歪められた真相』(光文社)をはじめ著書多数。

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