2004-2-1
特集/国政を歪める「自・公」の闇
「自公連立政権」の罪

ジャーナリスト 魚住 昭

日本の運命を決めた「自公連立」の99年

 1月10日の朝日新聞の夕刊を開いたら、社会面にうれしいニュースが載っていた。創価学会の活動家らが公然とイラクへの自衛隊派遣に反対する声をあげ始めたというのである。
 その記事によれば、北海道、東京、愛知、大阪などの若手活動家らが自衛隊派遣の基本計画を了承した公明党の神崎代表らへの要望書に「絶対平和の理念と日本の国益において、自衛隊のイラク派遣の中止を求める」と記し、158人の署名を添えて昨年暮れに党本部に提出したという。
 さらにインターネットを使って改めて神崎代表や小泉首相あての署名集めも開始。「派兵は憲法9条に反する」と訴えて、すでに1000人以上の署名を集めたという。
 記事には若手活動家たちの代表で、千葉市で学会の「ブロック長」をつとめる伊藤吉彦さんの次のようなコメントも載っていた。
 「戦争を厳しく戒める学会の理念に対し、党はまったく反対のことをやっている。こんなことを認めたら、宗教者としての存在意義にかかわる」
 まったく同感である。かつての公明党は「平和と人権」の党だったはずだ。それがいつから憲法が禁じる海外派兵のお先棒を担ぐようになってしまったのだろうか。神崎執行部が打ち出した自衛隊のイラク派遣支持の方針は党を支える学会員たちに対する裏切り行為である。そう思っている学会員は伊藤さんらのほかにも大勢いるはずだ。
 公明党が「平和と人権」の党から「戦争と国権」の党に変質し始めたのは1999年からだろう。この年、公明党は自民・自由両党との連立政権に加わる方針を決めた。(正式参加は同年10月)すると国会では前年の金融国会の迷走ぶりがウソだったかのように政府提出の重要法案が次々と成立した。
 5月24日、周辺有事の際に米軍の軍事行動に官民挙げて協力するガイドライン関連法案が自自公3党の圧倒的多数の賛成で衆院を通過した。8月にはいると、日の丸・君が代法案、盗聴法案、改正住民基本台帳法案も相次いで成立し、日本は「戦争のできる国家づくり」に向けて大きく舵を切った。
 もしこの時、公明党が連立政権に加わらず、一連の重要法案に反対していたら、その後の日本の針路は今とはかなり違ったものになっていたはずだ。2003年に有事法制が成立することもなかっただろうし、今回のイラク派兵も回避することができただろう。おそらく後世の歴史家は、自公の連立が成立した99年を、日本の運命を決めた年として記録することになるにちがいない。

公明の与党入りは「池田喚問」回避のためだった

 では、なぜ公明党は結党の理念を裏切るようなことをしてまで与党入りする必要があったのだろうか。私が取材した元創価学会幹部の岡本勇氏(仮名)の証言によると、その遠因になったのは今からちょうど10年前に行われた細川護煕元首相の証人喚問だった。
 佐川急便からの1億円借金問題などをめぐる細川喚問は94年6月、羽田政権の少数連立与党だった日本新党や公明党、新生党などの反対を押し切って衆院予算委員会で決定された。
 「この細川喚問で『証人喚問は全会一致で決める』という従来のルールが崩れてしまったんですが、これは学会にとって大変なことだった。なぜかというと、全会一致のルールが守られている間は、自民党から池田名誉会長の喚問を持ち出されても公明党の『反対』で阻止できた。しかし喚問が多数決で決まるということになると、そうはいかなくなった。公明党が自民党と手を組まないと池田喚問を防げなくなったんです」と岡本氏は言った。
 実際、翌95年秋、自社さ政権下の国会で宗教法人法の改正が審議されたとき、創価学会は池田喚問の危機に見舞われた。当時、学会は小沢一郎氏が率いる新進党(94年末に旧公明党の衆院勢力や新生党、日本新党などが合併)躍進の原動力となっていたため、自民党の集中攻撃を受けたのである。
 このとき学会は池田喚問を辛うじて免れることができたが、代わりに秋谷栄之助会長が国会に参考人招致された。
 岡本氏によれば、こうした自民党の攻勢にたまりかねた学会側は翌96年に入って自民党との手打ちに乗り出していく。その相手方になったのが当時の自民党幹事長代理で、後に小渕内閣の官房長官として辣腕を振るうことになる野中広務氏だった。
 同年2月の京都市長選の告示直前、野中氏は京都の料亭で学会関西長の西口良三氏と会談し、市長選の全面支援の約束を取りつけた。その結果、自民党などが推す桝本頼兼候補が約4000票差で共産党候補に競り勝ち、野中氏は自民党京都府連会長としての面目を保つことができた。
 この京都市長選での選挙協力をきっかけに自公連立のレールが敷かれていくのだが、それから先のいきさつは月刊『現代』2月号の「野中広務『権力二十年戦争』」最終回に書いているので、興味がおありの方は是非そちらを読んでいただきたい。おそらく読者はこの国の政治のあり方のあまりの劣悪さにため息をつかれることだろう。私自身はもうこの国の政治はどうしようもないところまで堕ちてしまったのではないかと思っている。

「自公連立」は政界近代化の新しい芽も摘んだ

 元自民党幹事長の加藤紘一氏によれば、日本の政治が生まれ変わるチャンスがまったくなかったわけではない。そのチャンスは与野党の勢力が拮抗していた1998年秋に訪れたという。国会が未曾有の金融危機への対応を迫られたとき、加藤氏は民主党の菅直人代表と「これは政局にしちゃいかん」と話し合い「じゃ、政策のわかる新人類を働かせよう」と二人でその枠組みをつくって働かせた。
 「その結果、何が起きたかというと政策新人類が自民、民主両党から出て国会を動かしちゃったんです。するとこれは役所も棚上げ、古い自民党の政策決定機構も棚上げ、だから国対手法も棚上げになり、自民党の従来の人たちが働けなくなる。だからやっぱり数を多く持って役所の言うとおり法案を通すという政治に戻りたくなったんです。それが自自公ですよ」と加藤氏は言う。
 それを裏付けるように、知日派のコロンビア大学政治学教授・ジェラルド・カーティス氏はニューヨークで行われた講義で次のように語ったという。
 「ここ10年の日本政治を分析すると、自自公連立(による政策新人類の消滅)が近代化の分かれ目で、それ以来、日本の政治は後退してしまった。あれほど残念なことはない」
 たしかに金融国会で登場した政策新人類が日本の政界に久々に生まれた新しい芽だったことは間違いないだろう。だが、その政策新人類も泡のように消えた。自(自)公連立の罪は「戦争のできる国づくり」に道を開いただけではなかったのである。
 1月19日夜(現地時間)、陸上自衛隊の先遣隊約30人がイラク南部のサマワに到着した。時事電によると、19日にサマワで開かれた州やオランダ軍などによる治安委員会の会合でも「治安は悪化の一途をたどっており、自衛隊の到着後、数日内にも自衛隊を狙ったテロ攻撃が試みられる恐れがある」との情勢報告が行われたという。
 各紙の紙面で自衛隊の車両に付けられた日の丸がサマワの闇の中に浮かび上がる写真を見ながら、この先遣隊員たちは米国に対する忠誠心を示すために差し出された人身御供のようなものだと私は思った。反米勢力の攻撃を受けて死ぬようなことになれば無惨というほかない。
 このままわれわれは自公連立政権とともに戦争への道をひた走っていくしかないのだろうか。イラク派遣の中止を求める学会の若手活動家らの声も公明党を動かすことはできないのだろうか。そんなふうに考え出すと、気分は落ち込むばかりである。

魚住昭(うおずみ・あきら)1951年生まれ。一橋大学法学部卒。75年共同通信社に入社、96年に退社しフリーライターに。著書に『沈黙のファイル』(新潮文庫、共著)『特捜検察』(岩波新書)『渡邉恒雄 メディアと権力』(講談社文庫)『いったい、この国はどうなってしまったのか』(NHK出版、共著)など。昨年から今年初めにかけて月刊『現代』で野中広務氏の半生を追ったルポを連載した。

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