特集/「創価学会裁判」に象徴される「司法の危機」 H15.4.1号

対・日蓮正宗裁判にみる「司法判断」の不可解

山田直樹(雑誌記者)


 「創価新報」に掲載された“偽造写真”

 一昨年から今年二月にかけて、「司法の危機」を実証するかのような判決が、創価学会をめぐって下されている。まずは、学会副会長にして弁護士の福島啓充氏の弁。
 「創価学会はますます威光勢力を増して輝き、全面勝利。すべての裁判でも全面勝利です」(聖教新聞三月八日付・第二十六回本部幹部会)
 まるで裁判所が、「学会の威光」にひれ伏したかのような調子である。福島弁護士がのたまうように、創価学会はこの間の裁判で“連勝”しているのは事実だ。だが、ひとつひとつの訴訟・判決を精査すればまったく別の様相も見えてくる。最初に一昨年十二月五日、東京高裁で下された「写真偽造事件」(注・学会側は偽造でないと主張)から検証する。予め言っておけば、この訴訟も東京高裁判決で実質、学会側勝訴となった。問題は、その判断と経緯である。
 九二年十一月四日付、同月十八日付の『創価新報』(学会機関紙のひとつ)はおのおの二枚の写真を掲載した。これがことの発端だった。たとえば前者では、「日顕が欲すは『カネ、酒、色』の堕落道」とタイトルが打たれ、「日顕の“芸者写真”」なる中傷がなされている。学会が「日顕」と吐き捨てる人物は、日蓮正宗法主・阿部日顕上人のことである。写真は芸者と阿部上人があたかも二人きりで部屋にいるかのような構成だった。
 一方、後者は集合写真で芸者に取り囲まれた中心に阿部上人が着座しているかのような構成である。タイトルも下品そのものもで、「退座のあとはここにキマリ、猊座がなくても“芸座”があるサ」、「これぞ極めつけ、ワシもう“成仏”しそう」等々……。さて、日蓮正宗側はこの写真が「いつ、どこで」撮影されたものであるのか、なかなか特定できなかった。それというのも、後者の集合写真では阿部上人以外の「芸者」すべての目がスミで潰されていたことや、前者は大幅なトリミング、背景の描き換えなどが加えられていたからだった。
 なぜこの(少なくとも)二枚の写真が学会側に渡り、偽造(修正)がなされたか。「創価新報」が写真と記事を掲載した一年前、学会は日蓮正宗から破門された。それへの報復については、小誌でもたびたび触れたが、この偽造写真もその一環に位置する。阿部上人及び日蓮正宗を貶めるためのキャンペーンだったのだ。問題は「芸者遊び」が事実か否かにかかってくる。

 「池田スピーチ」でも“偽造写真”を利用

 実はこの二葉の写真が撮影されたのが、八六年十一月であり、二人の日蓮正宗高僧の古希祝いの席であったことが判明する。その時、当のスナップ写真を撮ったのは、後に日蓮正宗から去り、学会側についた僧侶だった。
 では、「芸者遊び」が本当にあったのか。先述のように、この集まりは「古希祝い」であり、列席した僧侶のほとんどは夫人同伴だった。無論、阿部上人もそうだった。
 要はこの事実を隠すために、卑劣な写真偽造が実行され、「事実」を熟知していたのに、まったくデタラメの報道を「創価新報」が行ったのである。実際、最初に掲載された写真では、背景の「描き換え」、写っている人物の抹消など、本物と見比べればいくつもの手が加えられている。また後者でも、中央部分だけをトリミングして他の出席者を意図的に隠している。
 さらにこの「創価新報」報道に前後して、池田大作創価学会名誉会長は、以下のようなスピーチを行っている。発言がなされたのは九二年十一月十四日、「十一・十八創立の日を記念――第十五回SGI総会、第四回埼玉総会」席上である(創価大記念講堂にて開催)。この時期に着目していただきたい。「創価新報」の同月四日号と十八日号のはざまというタイミングで、池田氏は何を喋ったか。
 「そのうち、また、あの、あれ出ますけどネ。『新報』に、この次かな。これちょっと見してもらったけれどね……たくさんの美女に囲まれてね。そうだろ、秋谷(注、栄之助・創価学会会長)君、やめろつったら、秋谷やるっつんだもんの。もう、新橋かどっかのね、柳橋でさあ。もう、『エッヘヘヘェ』と笑ってね(会場、爆笑)。まあ、みんな行きたいね、いっぺんね(会場、爆笑)。そういう連中なんです」
 「猊座というのはね、本当は正法の座を猊座。芸者のほうの“芸座”(会場、爆笑)。今度は『新報』見たら、みんなびっくりするだろう、どうだ。」(学会側は、池田スピーチの事実こそ認めたが、発言内容、趣旨は否認)。

 違法性を認めながらも請求却下の不可解

 翌年五月、日蓮正宗側はこの一連の報道に対して、謝罪広告や損害賠償を求めて東京地裁に提訴する。一審は、原告側主張を認め、この「創価新報」記事が「明確な根拠を示すことなく他人の悪口を書き立てているのと同じであり」、「阿部日顕ないし同人を宗教上の最高指導者として擁する原告らに対して単に、揶揄、侮蔑、誹謗、中傷を並べたに過ぎない」と指摘。さらに池田氏の責任論も、以下のように明快に述べる。
 「被告池田大作が自らそれを指導ないし容認していた場合に被告創価学会と連帯してその被害者に対して不法行為の責を負うことになるのは勿論であるが、被告池田大作が事前に了知していたに過ぎない場合においても、同人には被告創価学会がそのような違法行為に及ぶことのないようこれを制止すべき条理上の義務があり、これに違反すればやはり不法行為に基づく責任を負うと言うべきである」。
 先述の池田スピーチに則れば、ただ単に、その後「創価新報」で阿部上人中傷の記事が掲載されることを知って(了知)いただけでも制止義務、つまり管理責任がある。そういう立場にある学会の最高指導者であると、この判決は論じ、池田氏は学会と連帯して四百万円を支払うよう、画期的判断がなされたのである。
 ところが控訴審では、これがひっくり返る。その判断にこそ、「司法の危機」が潜んでいる。判決が下されたのは先述のように一昨年十二月五日。高裁判決は、「阿部が一人で芸者遊びをしているような実際とは異なった印象を抱かせ、それは客観的報道とは言えず、(写真は)修正の限界を超えている」(要旨)と認定。修正の限界を超えるとはすなわち、偽造に限りなく近いと表現していることに他ならない。また、阿部上人への名誉毀損についても、「正当な言論や評論の域を超え、単に阿部日顕を揶揄し、誹謗、中傷するものとして、違法性を有する」とした。
 写真は偽造で報道が名誉毀損なら、常識的には一審同様の判断が下るはず。しかし高裁判決は、以下のような“逃げ”を打って、池田氏や学会を“救った”のである。
 いわく、「本件記事は、阿部日顕個人に向けられたものであり、これが同人に対する名誉毀損を構成する余地があるとしても、これをもって直ちに、被控訴人(日蓮正宗と本山・大石寺)両名に対する不法行為に該当するということはできない」。つまり阿部上人個人への名誉毀損ではあるけれど、ふたつの宗教法人への名誉毀損には当たらぬという珍妙な理屈を捻り出したのである。原審は取り消され、原告の請求はすべて棄却された。

 「クロウ事件」の経緯と和解

 こうした司法判断の原点は、どこにあるのだろうか。それは、日蓮正宗と創価学会の間で争われ、東京高裁での和解成立によって決着した「クロウ事件(シアトル事件)」に求められよう。この一件も、「写真偽造事件」同様、阿部上人および日蓮正宗に対する破門報復キャンペーンの中で大々的に学会が報道したものだった。
 「芸者写真」が、創価新報に掲載される五カ月ほど前、米国在住の創価学会員、ヒロエ・クロウ夫人(故人)が突然、阿部上人のセックススキャンダルを告発したことから「事件」が明らかになっていく。
 彼女の告発とは、一九六四年三月二十日早朝、当時、教学部長だった阿部上人が日蓮正宗の行事である「御授戒」のため訪れ、投宿したシアトルのホテルから単身抜け出し、歓楽街に赴いて、そこで売春婦とトラブルを起こして警察沙汰になったというものだった。クロウ夫人は、シアトルで阿部上人の案内役を仰せつかっていた現地幹部だった。
 告発以降の経緯を簡単にふり返る。日蓮正宗側はクロウ告発を「まったく事実無根」と批判する。これに対してクロウ夫人側(実態としては学会)が「ウソつき呼ばわりされた」と名誉毀損訴訟を米裁判所へ提訴。賠償額は当時のレートでなんと六〇億円。訴訟は裁判の「管轄権」を理由に一審、原告側(クロウ夫人側)に門前払いの判決。上級審もこれを踏襲し、原告側が連邦最高裁への上告を諦めて決着する。すなわち、アメリカの訴訟では、学会側が全面的に敗れたのである。
 日蓮正宗側はそれに並行して、学会の「シアトル事件」報道が名誉毀損にあたると、東京地裁に提訴。が、一審は二〇〇〇年三月二十一日、原告敗訴の判決を下す。場所は高裁に移り審理が続いたが、昨年一月末日、和解にて決着した。和解条項の詳細は省略するが、ポイントは「争点(事件の有無)にかかる事実の摘示、意見ないし論評の表明をしない」こと。「相互に名誉毀損にあたる行為をしない」と確約するが、「争点にかかる事実の存在を単純に否認することはこれに抵触しない」旨、記されている。
 これをもって学会側は「大勝利」を呼号するのだが、日蓮正宗側の「事件は事実無根」との主張も当然、留保されるわけであり学会側主張が認められたとは、当たり前だが言えない。実はこの訴訟、本来は「クロウ事件」と「FBI事件」が併合されたものだった。
 

 木が沈み、石が浮くような判決

 「FBI事件」とは、九五年一月、「シアトル事件の決定的証拠がある。連邦政府内に『記録』として残っている」と、学会機関紙が大報道したことに起因する。
 結論からいえば、「シアトル事件」の結審まで、その「決定的証拠」は法廷に提出されなかった。一般的に「決定的証拠」をジャーナリズムが使う場合、領収書、契約書、あるいは念書、登記簿、公正証書、写真、また当事者の子細な証言などがそれに相当しよう。ところがこのケースでは――学会側はそれを、阿部上人の犯罪記録の痕跡という――、まさにそのもの自身が「決定的に」欠けているのである。
 それはさておき、日蓮正宗側は「そうした文書は存在しない」というアメリカ政府当局者の公式文書を獲得。シアトル事件とは別件で、学会側を提訴した。その際の記者会見で、「学会側がアメリカ政府のコンピューターデータベースに、捏造した情報を埋め込もうとした。国際犯罪である」などと主張したことに敷衍して、日蓮正宗側を提訴した。
 もちろんそれは、阿部上人を貶めるための「工作」の可能性が高いというのが、日蓮正宗側の立場だった。この提訴(以下、FBI2事件)の結果は、一審(東京地裁)で学会側勝訴に続き、今年二月十二日の控訴審(東京高裁)でも学会側勝訴となった。特に二審は、一審で棄却された阿部上人個人への請求に関して、「連帯責任」を認める判断を示したのである。
 ちなみにこの裁判でも、奇妙な論理構造が目につく。たとえばそもそも「シアトル事件」そのものが、存在したかどうかの原点については、「立証されてない」。しかも「決定的証拠」なる決定的報道の存在は、客観的に立証されていないとも判断しているのである。
 つまりもともとの「シアトル事件」→「決定的証拠報道」に疑念を呈しているのに、局部的「データベース埋め込み」で名誉毀損が成立するという木が沈み、石が浮くような判決といえる。

 学会有利の意図的(?)「司法判断」

 それに続いて二月二十六日、同様の判決がまたしても下された。学会側の欣喜雀躍ぶりはこうだ。語るは迫本秀樹青年部長。
 「もう一つのうれしいニュースは、選挙になるたびに日顕宗が闇にまぎれてドブネズミのように配ってきたあのデマビラに、ついに司法の鉄槌が下ったことであります。
 今回裁かれたのは、一昨年の東京都議選、参院選を前に、『信教と思想の自由を守る会』なる団体が『聖教グラフ』の写真を無断で使用し、デマビラを作成・配布した事件です。
 東京地裁は、このビラが『著作権法違反』に当たることを明確に認め、100万円の賠償金に加えて、ビラの配布禁止と廃棄処分を命じました」
 この判決の最大の問題点は、ビラの配布に関与したとして日蓮正宗の責任まで認定したところ。たとえば、
 「本件写真ビラ(写真の著作権が最大の争点だった)の作成、配布は、外形上、被告日蓮正宗の活動に密接に関連するものといえ、被告日蓮正宗の事業の執行につき行われたと解するのが相当である」
 もちろん、日蓮正宗は学会・公明党とは異なり政教分離の宗教法人である。従って、一切の政治活動は行っていない。が、信者がかようなビラを配布することが「日蓮正宗の事業の執行」に当たると、大きな網を掛けられたのである。この伝でいけば、すべての宗教法人がその影響を被ることになる。
 以上、おおきく三つの訴訟とその結末をたどってきた。そのいずれもが学会側に有利な顛末を迎えている。ここに何か意図を感じることはできないだろうか。とりわけ最初の「写真偽造事件」と最後の「ビラ訴訟」の間には、同義の事柄へのまったく異なる、従って学会が俄然有利となる「司法判断」が見えてこないだろうか。
 しかし忘れて