特集/池田大作「海外要人会見」のお粗末
ルーマニアの独裁者チャウシェスク大統領との蜜月
 乙骨正生(ジャーナリスト)

 他愛のない海外要人との「平和対話」

 平成十四年十二月二十八日付「聖教新聞」には、「『対話で平和を!』 SGI会長のこの1年 人類貢献の軌跡」「28カ国のリーダーと59回の会見」との見出し、
 「『対話拡大の年』、その先頭に立って、世界に平和と友情の語らいを広げた池田SGI(創価学会インタナショナル)会長。国家指導者をはじめ、教育者、文学者、科学者、芸術家、社会活動家といった、世界28カ国のリーダーと59回の会見を重ねた。(中略)
 世界の友と、信頼と友情を勝ち得た、池田会長のこの一年の人類貢献の軌跡を紹介する」
 とのリード文のもと、見開き二頁を使った大特集が掲載されていた。
 この特集記事のキャッチフレーズは「対話で平和を!」。池田氏の世界各国のリーダーらとの対話は、人類の平和への貢献であるというのである。
 だが、「聖教新聞」に掲載された世界各国のリーダーとの対話内容や、「聖教新聞」の記者らが池田氏の発言を一言も漏らさずに記録した「池田発言記録」を子細に見ると、池田氏と世界各国のリーダーとの対話内容は、ほとんど意味のない他愛のないものであることが明らかになってくる。
 例えば平成十一年六月四日に池田氏は、フィリピンのエストラーダ大統領と会談した。
 周知のようにエストラーダ氏は日本で言えば石原裕次郎ばりのフィリピンの人気俳優であり、その人気を背景にして大統領に就任したのだが、大統領在任中に不正蓄財をはじめとする悪事が次々と露見。大統領の座を追われたばかりか、平成十三年五月には一〇〇億円余りにのぼる横領容疑で逮捕されたのだった。
 池田氏はそのエストラーダ大統領と東京都内のホテルで会談したのだが、「庶民の味方が正義の味方」との見出しをつけて池田・エストラーダ会談の模様を報じた「聖教新聞」によれば、そこで池田氏は次のような発言をしている。
 「太平洋の世紀の大統領、日本へ、ようこそ!」(「聖教新聞」平成十一年六月五日付)
 「(エストラダ大統領は)昨年六月の就任演説のなかで、こう誓われました。『(未来において)何らかの犠牲が必要とされるならば、我々は、それをより等しく分かち合うことになるでしょう。しかし、私は、これだけは誓いたい。あなた方が、犠牲という“石”を一つ担えば、私はその二倍の重さの石を担うことを――』
 日本でも、すべての指導者が、同じ誓いをしたならば、どんなに素晴らしいか、と私は思います」(同)
 エストラーダ大統領は「二倍の重さの石を担う」どころか、汚職にまみれて大統領の座を追われたのだが、会談で池田氏は「大統領は人気は高い」とか「貴国は日本の恩人」などとひたすらエストラーダ大統領に追従している。
 同様に平成十年十一月二十七日に、池田氏は東京・元赤坂の迎賓館で訪日した中国の江沢民国家主席と二十分ほど会談した。「聖教新聞」に掲載された池田氏の発言は次のようなものだった。
 「きょうは快晴。主席のお心のように晴天です。大切な訪日を天も祝福しています。二十一世紀へ、今こそ『心の通う』日中関係を作るべきです。その意味で、私は、主席の『詩人の心』を、多くの日本人に紹介したい」(十一月二十八日付)
 「文化、宗教のわかる指導者です。主席は、実務上の経験も豊富であり、世界にとって、どれほど大切な存在か」(同)
 池田氏の最側近の一人として、要人との会談の場面にも同席したことのある原島嵩元創価学会教学部長は、こうした池田氏の「民間外交」と称する各国リーダーとの対話を、「褒め殺し外交」「おだて合い外交」と論評するが、不正蓄財で逮捕されたエストラーダ氏や本誌のもう一本の特集で触れられているパナマのノリエガ将軍に対する歯の浮くような賛辞は、そうした池田氏の「民間外交」「平和への対話」の実態が、いかに虚しいものであるかを象徴的に示している。
 そうした池田氏の「平和への対話」の本質をよく示しているのが、民衆の蜂起の前に打倒されたルーマニアのチャウシェスク大統領に対する池田氏の姿勢といえよう。

 独裁者チャウシェスクを礼讃し、 打倒後は自己の言動を棚上げし頬被り

 昭和五十八年六月にルーマニアを訪問した池田氏は、六月八日、大統領官邸でチャウシェスク大統領と五十分にわたって会談した。その際、池田氏はチャウシェスク大統領を次のように賛嘆、「固い握手」を交わしたのだった。
 「大統領は愛国主義者であり、平和主義者であり、民族主義者であることがよく、理解できました」(「聖教新聞」昭和五十八年六月十日付)
 「今後も世界の指導者としてのご活躍とご健勝を祈ります」(同)
 また大統領との会談に先立つ七日には、首都ブカレストにあるブカレスト大学で「文明の十字路に立って」との講演を行ったが、その講演を池田氏は次のような言葉で締めくくっている。
 「ルーマニア建国の指導者、世界平和に尽力され、ご努力してくださっているチャウシェスク大統領に心より、感謝の意を表し、私の講演を終わりたい」(「聖教新聞」同六月九日付)
 またこれに先立つ昭和五十年三月二十五日、池田氏は聖教新聞社において駐日ルーマニア大使のニコラエ・フィナンツー氏と会談したが、その記録文書にも、チャウシェスク大統領を礼賛する池田氏の発言が数多く記載されている。
 「(チャウシェスク)大統領は若く、偉大なる指導者であり、独自の哲学をもち、また魅力をもった方であると認識しています。
 私はその大統領に将来見習っていかなくてはならないこともよく知悉しているつもりである」
 「大統領のような聡明な指導者をもったお国は幸せであると申し上げたい。もはや大国の指導者はみんな年輩者ばかりです。しかしお国は若い」
 「私の直観ではお国、今の閣下のあとの代になっても、次の後継者はスムーズにいくように思います」
 「(大使が『私の大統領はよく働きます。能率的に自分の国のためばかりではなく、世界中の人々のために働きます。大統領は物の考え方が希望的であるという面では極めて若いと思います』と述べたのに対し)すばらしいことです。それが指導者の条件の一つです。そこに必ず次の民衆はついていくでしょう」
 しかし、「聡明な指導者」であるチャウシェスク大統領に「必ず民衆はついていく」との池田氏のご託宣とは裏腹に、チャウシェスクは独裁政治に対する民衆の義憤と憎悪の銃弾を浴びて、平成元年十二月、打倒された。
 チャウシェスクを打倒した救国戦線評議会によるチャウシェスクの個人資産調査によれば、チャウシェスクはイギリスのバッキンガム宮殿の十倍の規模をもつ部屋数数千の「共和国宮殿」をはじめ、「春の宮殿」「夏の宮殿」など、ルーマニア各地に五十以上の邸宅を所有し、贅の限りをつくしていたという。
 救国戦線評議会の資産調査に同行した産経新聞社の野村成次カメラマンのコメントを掲載した雑誌「SPA!」の平成二年一月十七日号によれば、「夏の宮殿」の周囲約四十平方キロメートルはチャウシェスクの個人狩猟用の森であり、一般の立ち入りは禁止。宮殿内部には大理石と純金で作られた室内プールと純金の池、純金風呂、純銀風呂、サウナルームからトレーニングジム、映画館までそろっていたという。
 こうして自らは贅の限りを尽くす一方で、極度の重化学工業路線などによる経済政策の破綻により、国民には極度の耐乏生活を強いていた。例えばパンは一日一人三百グラムの配給制。食用油も一人一カ月〇・五リットルに制限されていた。豚肉は店頭に並ばないので高額のヤミ取引となり、日用品や耐久消費財も欠乏。電力も制限され、一般家庭には電球分しか流されていなかった。
 しかも、こうした失政を批判する反政府活動に対しては、チミショアラでの数千人規模にのぼる市民虐殺に象徴されるように、秘密警察による徹底した弾圧が加えられていた。
 池田氏がルーマニアを訪問した昭和五十八年当時、すでにチャウシェスクはこうした独裁体制を確立していた。にもかかわらず池田氏は唯々諾々とチャウシェスクを礼賛したのである。
 ところが、平成元年末に、チャウシェスクが民衆の怒りを浴びて打倒されるや否や、チャウシェスク礼賛を繰り広げていた自らの言動は棚上げにして、激しくチャウシェスクを批判したのである。
 平成二年一月六日、池田氏は聖教新聞社でブラッド駐日ルーマニア大使と会談し、ルーマニアの民主化を最大限、賛嘆したのだが、その際、チャウシェスクについて次のように言及したのだった。
 「民衆の総意による新生ルーマニアの誕生を、私はもろ手を挙げて、祝福いたします。『民衆』が勝った。『人間』の叫びが勝った。私どもはもちろん、権力悪と戦う世界の民衆勢力に、強い勇気を与えてくれました」(「聖教新聞」平成二年一月七日付)
 「今、ルーマニアの栄光と勝利がもたらされたことを私は、心から喜んでいます。
 また、ルーマニアの国旗の三色旗は、学会の三色旗と色もまったく同じで、親しみを感じている一人です」(同)
 「貴国の不幸は、指導者が一族主義による『独裁者』に、いつしか陥ってしまったことにあったといえます。権力の腐敗にどう対処していくか――ここに将来にわたっての大きな課題があると思うのですが」(同)
 「残念なことに、変革以前の貴国には独裁体制があり、その統治が強固なだけに、識者の間には、政権交代は暴力革命になるかもしれないとの指摘もあった。ところが、貴国の民衆は、混乱はあったものの、できる限り暴力の拡大を防ぎ、自由を勝ち取りました」(同)
 これに先立つ平成二年一月一日付「聖教新聞」には、池田氏が過去に対談した「識者との対話」の一覧表が掲載されていたが、そこからはチャウシェスクとノリエガの名前が削除されていた。
 また、ルーマニア大使と会談した後の一月十五日に行われた創価学会の神奈川県青年学生代表者会議の席上でも、池田氏は、
 「大統領のように一国の頂点に立つことにあこがれる人もいる。しかし、栄華を誇った人生の最終章を、銃殺刑という悲劇で閉じた例もあった。社会的立場や評価というものは、実に変転極まりない」(「聖教新聞」平成二年一月十七日付)
 と、悪しき人生の事例としてチャウシェスクを引き合いに出したのである。
 文藝春秋社発行の月刊誌「諸君!」の平成二年三月号に掲載された「内藤国夫の月報『創価学会問題』」によれば、チャウシェスクが打倒される前日の十二月二十一日、東京・品川区にある品川池田文化会館を訪問した池田氏は、会館内に自分とチャウシェスクが会見している写真が飾られているのを見て、激怒。「すぐに取り外せ」と側近を怒鳴りつけ、その写真を撤去させたという。
 一連の言動は、「民衆の王者」を気取る池田氏にとって、チミショアラでの虐殺をはじめ民衆弾圧に躍起となっていたチャウシェスクとの親交は、ただちに隠したい汚点だったことが窺える。
 創価学会が喧伝する池田氏の「平和への対話」の実態とは、このようなものなのである。
 たとえ相手が独裁者であれなんであれ、礼賛、賛嘆し、お返しに自らも誉めあげられて悦に入る。その後、対談、親交を重ねた人物の悪事が露見すれば、その人物を礼賛した自らの責任は頬被りし、無関係を装う。これが原島元教学部長が「褒め殺し外交」と論評する池田流の「民間外交」の真髄なのである。

 大使との会見記録に見る池田流外交術

 先に引用した昭和五十年三月二十五日の午後に聖教新聞社で行われた池田氏とニコラエ・フィナンツー駐日ルーマニア大使との会談の模様を記録した創価学会広報室国際局による「会見記録」には、そうした池田流の外交術がハッキリと記載されている。
 全編にわたって非常に興味深い内容が綴られているが、紙数の都合もあるので、以下に冒頭部分と、池田氏がソ連のコスイギン首相とアメリカのキッシンジャー元国務長官の名を挙げて自らの“偉大さ”を自画自賛している部分のみ紹介する。
 「会長 今回チャウシェスク大統領よりの会見希望を寄せていただき、一千万の会員を代表して心より御礼を申し上げます。また大統領の著書を含む貴重な本を、創価大学に贈呈していただき、創立者として衷心よりお礼を申し上げます。
 この寄贈図書に関しましては、その趣旨を本日、全学生、全教授に徹底いたしました。
 厚く御礼申し上げます。
 (先生、及び高松学長からのルーマニア国立中央図書館宛感謝状手渡す)
 本日、ここにその一部の図書が置いてありますがこれも2千人の本部の職員に見せます。
 大使 大変嬉しく思います。
 会長 短時間ですが、どうぞ我が家に帰ったつもりでおくつろぎ下さい。
 大使 私は既にこの社屋に入った時から我が家に帰ったような気がしています。
 会長 大使のますますの健康並びに大統領閣下の来日が大成功でありますようお祈りして乾杯させていただきます。乾杯!
 大使 第一に申し上げたいことは、池田会長には御多忙の中を会っていただいたことに心より感謝申し上げたいことです。
 このような友好的、家庭的雰囲気の中で、会長とお会いできて本当に光栄です。
 私はこれまで永い間お会いしたいと望んでおりました。その希望が今実現したという喜びで一杯です。
 池田会長は日本を代表する方です。その池田会長が我が国の大統領と会われることは、最高の喜びです。ぜひ会っていただきたいというのが私の義務であり責任であると考えております。
 会長 大変な好意を寄せていただき、心から感謝致します」
 「(日本とルーマニアの距離は一万二千キロメートルもあり遠いが、池田氏のルーマニア訪問でこの距離を縮めて欲しいとの大使の言に対して)
 会長 必ずちぢめるでしょう。私は自分の功績ぶったことはいいたくありませんし、また、そういう考え方ももっていませんが、事実を申し上げれば、この前、ソ連に行って5月にも行くが、映画をとりました。その映画を今、アメリカの大統領がみています。日本では500万人がみています。
 大使 先生のなされている努力、誠実な人柄が良い雰囲気をつくります。それは今の時代に必要な条件です。情勢がいいとか、悪いとかは別にして、絶対に世界が求めているものであってそういう所まで来ていると申し上げたい。
 会長 私はその期待に応えるためにも、この身を挺身して進むでしょう」
 「会長 私はたまにその国の悪い処もいいます。この前、ソ連のコスイギン首相と会った時も、日本人が抱くソ連観、暗い、冷い、そういうことをズバズバいいました。私の側近は私の服をつまんでそんなこといっちゃいけないと引っぱっていましたが、しかし私は、一流の指導者ならば全部わかって受け入れるものだとの考えでいいました。
 コスイギン首相はよくいってくれた、といってくれました。しかしお国のことは、そういう非礼なことをする必要はありません。
 大使(大きく笑いながら)それはどうもアリガトウゴザイマス(日本語で)
 会長 それからコスイギン首相は私のことがとても好きになったようで、早く来い、早く来い、といってきている状態です。
 大使 もっともっとフランクに意見を交換しようと考えているのでしょう。
 会長 中ソは仲が悪いが、ケンカしていてはいけない、と私はいっています。キッシンジャー長官にもいうべきことをきちっといいました。今回も長い手紙が来ました。また会いたいといってきています。私が真実を言うものですからお互いに理解が早いのでしょう。
 大使 その通りです。真実をいうことは最も難しいことでもあります。
 会長 キッシンジャー長官にはもっと勇気をもつこと。余裕をもつこと、そうでないとノーベル賞が泣くと、そこから会談が始まった。なまいきだともいいました。私はいばっていったのではない。その人の心になっていっています。
 大使 現代の世界の中で、トップの政治家に対してどうすべきかの助言を与えられる、そういうポストにある人は、池田会長をおいて他に知りません。
 会長 ご理解ありがとうございます。それと同時に、まちがったこと、利害や売名が片鱗だにもあったら大変であることも自覚しています。私の根本の信念は、その国の民衆、国家のことに没入して、また融合して、その国の立場に立って、その国の繁栄のみを考え、また日本を見、世界を見ていく人間主義にあるということです」

 キッシンジャーを「生意気だ」と叱りつけたという池田氏。また「その国の民衆」の繁栄を信念としているという池田氏。もし、それが本当ならばチャウシェスクに会った時にも、ルーマニアの民衆のために、チャウシェスクを叱り飛ばせば良かったではないか。だが実際には、ひたすらチャウシェスクを礼賛、胡麻を擂り続けたにもかかわらず、チャウシェスクが民衆の手によって打倒されるや、チャウシェスクを礼賛した自己責任は棚上げして激しくチャウシェスクを非難したのである。
 相手を褒め、返礼として相手が池田氏を褒めたことを誇大に宣伝し、自らの権威付けをはかっていく池田氏の「平和対話」。こんなものが世界平和に役立つなどとは、お笑い草以外のなにものでもない。

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