1月15日号 特集/勧誘に動員される「学会員芸能人」
集票に貢献する広告塔―芸術部 
段 勲(ジャーナリスト)  

 手元に、創価学会組織に関するこんな内部資料がある。「今後の地域部のあり方」とタイトルが明記されたB4サイズの用紙は、「地域本部」幹部に配布された内部資料の一枚だ。
 地域本部とは、一九九九年七月、「地域社会に、信頼と友情を広げていく『友好活動』を広範囲に推進するために新設」(「聖教新聞」一九九九年七月六日付)されたもの。
 創価学会には「横割」の組織として、学校教師など教育者がメンバーになっている「教育部」。それと、女優、歌手、タレント等、芸能人メンバーが主軸になっている「芸術部」に加え「学術部」「ドクター部」「文芸部」「国際部」の六部を「文化本部」と称している。
 さらに、「社会部」と「専門部」を合わせた「社会本部」が存在し、これら横割りの組織に、新たに「地域本部」が設けられたのだ。「地域部」「団地部」「農村部」「離島部」の四部を傘下に置く同本部の責任者は、中上政信本部長である。一部週刊誌に、創価学会と"永田町"を結ぶパイプ役と報じられたことがある政界通の人物だ。

 地域の公的役職に浸透し集票に腐心

 「友好活動」を広範囲にという「地域本部」設立の目的は、布教と同時に選挙活動の拡充にほかならない。その地域本部・地域部が、各方面区地域幹部を対象に配布したのが、以下の内部文書である。
 「今後の地域部のあり方
 地域部員は以下の地域役職を有する人で、圏(区)地域部長が認定した人とする。
 (1)地光会 町会・自治会(これに準ずる地域組織)の三役クラス
 (2)盛光会 商店会の三役クラス
 (3)寿光会 老人会の三役以上
 (4)福光会 民生委員・保護司
 (5)学光会 PTAの三役クラス
 (6)勇光会 消防団
 (7)慈光会 青少年委員、交通安全委員、体育委員など公的ボランティア
  ★原則として現職。OBについては人によって可。」
 商店会、老人会、民生委員、PTA、消防団、青少年委員会、交通安全委員会、体育委員……いずれも地域住民の快適な生活をサポートする、公共組織としての色が濃い機関である。そうした地域のリーダー格である各機関の三役クラスを、学会は、「地域部員」として認定しようという内部文書だ。
 全国地域の公共機関をここまで細分化、浸透させ、「友好活動」を推進しようとする創価学会の緻密な地方戦略には、目を見張る者がある。  また、同文書には、以下のような項目も記述されていた。
 「マンション委員会・福祉委員会の設置
 従来、マンション管理組合の役員やホームヘルパーなどを地域部で掌握してきたが、今後、これらの方は地域部と切り離し、地域本部の下に『マンション委員会』並びに『福祉委員会』を設置し、掌握・激励する。
・マンション委員会 マンション組合の理事長、理事、マンション管理士を掌握 ・福祉委員会 介護福祉士、社会福祉士、ケア・マネージャー、ホームヘルパーなど福祉関係の有資格者を掌握……」
 「地域本部」が、これらマンション委員会、福祉委員会の学会メンバーまで掌握する目的は、前述した「地域部員」の認定と同じである。町会、商店会の三役や、マンション管理組合の理事長にしても、選挙に突入すれば、地域における公明党の重要な「広告塔」の役割を果たすことになる。その全国版といえるのが、芸術部に所属する芸能人たちだ。
 ことし四月の統一地方選挙に加え、早くて六月、あるいは時期が秋という衆議院解散を告げる風評が吹き始めた。すでに街並みの一角には地方選挙に向けた候補者のポスターが貼られ、現職代議士たちの新年会を見聞すると、いずこも解散・選挙をにらんだ出陣式の趣になっている。
 わずか一カ月の間に、三千人余りの自殺者を数えるような不況にあえぐ国民の生活よりも、政治家たちの最大の関心事は権力にしがみつき、"道路作り"や、選挙の当落でしかない。  国民不在の選挙といわれて久しいわが国の国政選挙は、すでに大人(有権者)の半数が選挙権を放棄した。政治や政治家に、もはや期待すべきものがなくなってしまったのか。  その一方で、一貫して政治に関心を抱き続け、選挙活動に奔走しているのが創価学会である。同会が創始し、支持・支援する「公明党」は、周知の通り、自民党の女房役として国家権力の中枢に入って四年。大衆の党をスローガンにしてきた公明党が、自民党と一緒になって健保サラリーマン本人負担の二割を三割に増やし、さらには、児童扶養手当を削減、介護保険料の値上げに賛成するなど公約を破ってまでの変節ぶり。同党が永遠の指針としている「大衆とともに戦い 大衆の中に死んでいく」が泣いてしまう。高齢者や弱者に金銭の負担増をかける制度改正に賛成するなど、どこに大衆性があるのだろうか。
 "どこまでも民衆の味方""民衆の宗教"を声高にアピールしている創価学会も怒って当然と思えるが、それでも公明党の支持・支援をやめることはない。むしろ、公明党が国家権力の中枢に入って以来、学会のトップが「デージン」発言までしてはしゃぎ、選挙になると組織は、火の玉になって公明党を応援している。
 ここには大衆や民衆もなく、「創価学会」という"国家"を守ろうとする「宗教政党」としての匂いを感じる。その各選挙戦で、「広告塔」として大きな役目を果たしてきたのが、女優、歌手、タレントなどの「芸術部員」たちである。

 「広告塔」が芸能人会員の使命

 学会組織の中で、約七千人が所属しているという「芸術部員」たちを同会では"文化の女王"とか、"芸術の帝王"と呼び、集会でも別格扱い。例えば本部主催の記念幹部会などが開催されると、会場の最前列に並ばされることも珍しい光景ではない。
 昨年の九月十五日、東京牧口記念会館(東京・八王子)で、芸術部の結成四〇周年を記念する「第四回首都圏総会」が開催された。翌日の聖教新聞では一ページを埋めて、開催の模様が報じられ、顔写真付きで芸術部の幹部も紹介されている。
 芸術部長の下に、一四人の「副芸術部長」がいるが、その中に、テレビや雑誌でもお馴染みの芸能人が四人いた。歌手の雪村いづみ、山本リンダ、女優の岸本加世子、それにテレビのバラエティー番組などによく顔を見せているお笑いの久本雅美である。
 一八〇〇人の「芸術部員」を集めて開催されたその総会に、池田氏が次のようなメッセージを贈った。
 「……自分自身の、自分ならではの『使命の王道』を歩み抜いてください……」
 使命の王道。奥の深い言葉だが、芸術部員にとっては、選挙戦に参加する「広告塔」の役割こそ、"使命の王道"にふさわしい。先に名前をあげた副芸術部長の芸能人四人組は、聖教新聞など、学会機関紙誌類に登場する回数が極めて多い。本人たちはそれほどと思っていなくても、学会の「広告塔」として、十分な使命を果たしてくれるのだ。
 わけても選挙戦になると、「広告塔」の影響力は甚大である。ただ候補者名を連呼しウルサイだけの街頭宣伝にしても、テレビで何度も観たことがあるような岸本加世子あたりから、
 「岸本加世子です! 公明党をよろしくお願いしま〜す」
 と、呼びかけられたら、つい往来の婦人などは、選挙にまるで関心がなくても足を止めてしまうからだ。立候補者の呼びかけなどは無視するが、応援隊の芸能人には聞き耳を立てる。党の宣伝効果が絶大なのである。
 では実際、芸術部員の「広告塔」ぶりとはどのようなものか。九九年夏、都内のホテルで筆者は、女優の杉田かおるをインタビューしたことがある。
 芸能界に七歳でデビューしている杉田は、大ヒットしたテレビドラマ「3年B組金八先生」や「池中玄太80キロ」の出演で、本格的な女優の道を歩み始めた。その一方、熱心な学会の活動会員であったことはあまり知られていない。
 父親が学会員であったことから、「〇歳で入信」したという杉田は、青春時代、聖教新聞を配達し、布教に努め、東京・品川区内の女子部副部長の役職まで任命された強信者。池田大作の著書『人間革命』の本をボロボロになるまで何度も読み返したという。
 そんな杉田が一七歳になった一九八一年、学会員で「芸術部員」だった某女性歌手から「芸術部」ヘの所属を勧められ、メンバーとして加入した。
 八四年、成人式を迎え、有権者になった杉田は、早速、選挙運動にかり出される。「広告塔」のスタートである。初めての応援は、八五年の東京都議会選挙。芸術部員で女優のKと一緒に、町田市や中央区に配置された。
 早朝、公明党本部の車が迎えに来る。随行する公明党職員の手には、一日の行動予定がびっしりと書き込まれていた。街頭宣伝カーに乗っても、何を話してよいのかさっぱり分らない。ただ、「公明正大な公明党とか、当たり障りのない言葉をマイクに向かって叫んでいた」という。  純白のスーツに「杉田かおる」と大書したたすきをかけ、手には白手袋。その手を車の窓から出して、ちぎれんばかりに手を振り続けた。開票日、「杉田かおる」と書かれた投票用紙が何十枚とあったという。
 杉田は女優として知名度があり、機転も利くし、なによりも、学会の信仰には人一倍熱心である。創価学会・公明党の「広告塔」として、申し分のない適任者であったのだ。
 やがて、選挙応援を重ねるにつれ、遊説にも慣れ、選挙ごとに「広告塔」として全国を飛び回るようになる。選挙運動も信仰活動の一環とされ、交通費などすべては自費である。
 それでも、新幹線を乗り付けて地方に応援に行ったときなど、夕食に招待された。公明党の選挙応援に出向き、夕食に招待するのは、なぜか地元の学会・最高幹部である。なにを勘違いしたか、くだんの最高幹部氏、杉田と顔見知りになったことを利用してか、実に不愉快なこんなエピソードもあったという。
 選挙が終了した数日後、ともに夕食をした地方の最高幹部から杉田の自宅に、いきなり電話がかかってきた。こんな会話である。
 「新幹線代を出すから来ませんか……」
 「なぜですか」
 「君の顔を見たいから、時間の都合をつけてくれ」
 「私は本部から派遣されて行っただけ。個人的に行くことはしません」
 「そのへんのところ、都合つけてよ」
 杉田に執拗にくいさがった最高幹部とは、氏名を伏せるが、ちなみに某副会長である。
 ともあれ、こうして杉田は三〇歳の歳まで公明党の「広告塔」になるかたわら、自ら"F票"を取り、さらには日夜を惜しみ、学会活動に専念してきた。
 「このような話をするのはこれっきりにしたい」
 と、語った杉田は、五時間に迫るインタビューに、何度も泣き、涙で濡れたハンケチを握りしめながら答えてくれた。芸術部員になって別格扱いにされ、池田氏から食べかけメロンのお下げ渡しをされる。または、神仏と尊敬してきた池田氏の生身の人間性を何度も眼の当たりにして、杉田が抱いてきた組織信仰に対する違和感が次第に膨張していった。
 「学会を離れて、もう一度、自分を見直してみたい」
 と、ついに、学会を脱会し女優に専念するのである。自ら聖教新聞まで配達していた女優、杉田かおる。学会・公明党も貴重な「広告塔」を失ってしまったようである。